Rustic Atelier
Thursday, November 29, 2012
万年筆を新調
Sheaffer300シリーズ、ソリッドブラック。
軸径13mm、重さ45g。太くてズッシリと重く、心地よい手応えあり。キャップ側に重心が寄っているのでペン先から遠めのところで握り、その重さを利用してサラサラ・・・という書き方になる。
ペン先はF(細字)とM(中字)の2種類。Fを選んだがわりと太め。帳簿の記入のような細かい文字には適さない。ゆったり構えて書き流したり、構想を練ったり、長時間あるいは大量に書くためのものだろう。書き心地はいかにも万年筆らしい滑らかさで文句なし。
インクカートリッジと吸入式コンバーターの両方が使える。インクの色はブルーブラックにしてみたが、私の好みよりかなり薄い感じ。使い切ったら次はオーソドックスなブラックに変えようと思う。
価格も手頃だったので、1ヶ月早いが自分へのクリスマスプレゼント。
さぁ、書くぞ~!
Tuesday, November 20, 2012
こぶ取り先生はどこに?
何年も前から、左足の左側面、親指の付け根あたりが盛り上がってこぶになっていた。見た目はいわゆる外反母趾に似ているが、触ると妙にフニャッとしている。普段はどうということもないが、少し強めに押すと痛い。肌の色は周りと変わることがないので、血が溜まったわけでもなさそうだ。ごく普通に生活している分にはこれといって支障もなく、ずっと放っておいた。
ところが2週間ほど前から、突然こぶに重いような鈍いような痛みを伴ってきた。靴を履こうとするときに擦れるだけで飛び上がるほど痛い。これはまずいぞと思って触ってみると、ブヨブヨ感が増してきていた。さらには、こぶ全体が黒ずんだ色に変わってきていた。さすがにこれは病院へ行かねばならないかもしれぬ。整形外科だろうか形成外科だろうか、それとも皮膚科だろうか?と考えながらさらに数日経った。
ついに痛みが頂点に達し、ふと見ると、こぶのてっぺんだけがどことなく白っぽい。そしてその白い部分だけ、周りと比べて感覚が薄い。
「もしかして・・・?」
カッターナイフを取り出してきて、白っぽい部分を先端で軽くつついてみるとプスリと切れた。痛みは全くない。一呼吸おいて、切り口の奥から顔を出したものを見て気づいた。この盛り上がりの中に埋まっていたのは、老廃物化した脂肪のかたまりだったのだ。
こぶの両側には相変わらず痛みが残っていたが、少し我慢して周りを指で押すと、切り口の奥から次から次へと脂肪が飛び出してきた。まるでマヨネーズかラードのチューブをしぼるようなものだ。しぼってもしぼってもどんどん出てくる。出尽くした頃に少しだけ血が混じってきて、やがて何も出てこなくなった。傷口を拭いてからガーゼを強めにあてがっておいて靴下をはき、そのまま歩いてみると、あれほど強かった痛みがすっかりなくなっていた。
しかし、かなり小さくなったとはいえ、こぶはまだ残っている。いまだしぼり切れていない脂肪がさらに内側に層をなしているようだ。奥の部分なので今度ばかりは自分では手に負えない。
さて、今度こそ病院へ・・・とはいえ、どの科なんだろう?
ところが2週間ほど前から、突然こぶに重いような鈍いような痛みを伴ってきた。靴を履こうとするときに擦れるだけで飛び上がるほど痛い。これはまずいぞと思って触ってみると、ブヨブヨ感が増してきていた。さらには、こぶ全体が黒ずんだ色に変わってきていた。さすがにこれは病院へ行かねばならないかもしれぬ。整形外科だろうか形成外科だろうか、それとも皮膚科だろうか?と考えながらさらに数日経った。
ついに痛みが頂点に達し、ふと見ると、こぶのてっぺんだけがどことなく白っぽい。そしてその白い部分だけ、周りと比べて感覚が薄い。
「もしかして・・・?」
カッターナイフを取り出してきて、白っぽい部分を先端で軽くつついてみるとプスリと切れた。痛みは全くない。一呼吸おいて、切り口の奥から顔を出したものを見て気づいた。この盛り上がりの中に埋まっていたのは、老廃物化した脂肪のかたまりだったのだ。
こぶの両側には相変わらず痛みが残っていたが、少し我慢して周りを指で押すと、切り口の奥から次から次へと脂肪が飛び出してきた。まるでマヨネーズかラードのチューブをしぼるようなものだ。しぼってもしぼってもどんどん出てくる。出尽くした頃に少しだけ血が混じってきて、やがて何も出てこなくなった。傷口を拭いてからガーゼを強めにあてがっておいて靴下をはき、そのまま歩いてみると、あれほど強かった痛みがすっかりなくなっていた。
しかし、かなり小さくなったとはいえ、こぶはまだ残っている。いまだしぼり切れていない脂肪がさらに内側に層をなしているようだ。奥の部分なので今度ばかりは自分では手に負えない。
さて、今度こそ病院へ・・・とはいえ、どの科なんだろう?
Friday, November 16, 2012
目覚めさせられた一本
もともと酒飲みではなかった。どちらかというと限りなく下戸に近かった。ところが30代後半に入ったある真夏の夕暮れに、ちょっとしたいたずら心で飲んだ一本の缶ビールがきっかけで、アルコールもたまにはいいもんだなと思い直すようになるのだから人間というものはわからない。
夏が過ぎ、秋が来て冬になる。木枯らしに吹かれた後はビールより熱燗ってのが、世間でいうところの本寸法なのだろうと勝手に解釈して、ものは試し、熱燗ってものをなめてみようと無謀にも考えた。数ある酒の種類のうち日本酒だけは何があっても避けてきたのに、である。
ごく若い頃職場の先輩に無理矢理飲まされた日本酒の臭いにおいが記憶にこびりついていた。だらしなく酔っ払ってクダを巻くおやじの体臭を思わせる、安っぽく品のないただ不快でしかないにおいだった。それ以来、日本酒と聞くだけで吐き気をもよおした。
誰から強いられたわけでもなく、自ら湧き上がる好奇心ほど新たな一歩を踏み出させる原動力となるものはない。全国どこにでもあるチェーン店の居酒屋のカウンターに座るなり、熱燗一本と焼き魚を注文した。徳利とぐい呑みはすぐに運ばれてきた。首をつまんでとくとくと注いだ。鼻の先にもってくると、どういうわけか昔感じたあの嫌なにおいがしなかった。ぐい呑みを傾けると口の中にほどよい熱さと辛さがしみ込んできて、喉を柔らかく押し広げながら通り抜けていく。一つ大きく息を吐くと、一歩遅れて内側から香りがやってきて鼻の先へ抜ける。においは外から鼻の中へ入っていくばかりではないのだと気づいた。焼き魚をつつきながら一合の徳利を空にすると、大いに満足して店を後にした。
それ以降、一口に日本酒といっても銘柄によって味も香りもまちまちであることがわかるようになった。昔飲まされた日本酒はきっと、得体の知れない安物だったに違いない。それでなければあのおぞましい悪臭はありえない。そう結論づけて、どうせ飲むなら本当にうまいと思えるものを自分で見つけて飲もうと決めた。
腰を据えて本気で飲んだところでせいぜい二合が関の山、それ以上は喉も体も受け付けない。味も香りも楽しめなくなり、ただただつらいばかりになるからだ。ましてや、酒でかまどがひっくり返るほど毎晩のみ暮らすわけでもない。少しばかり値は張っても、うまいものをちょっとだけというのが自分のスタイルになった。
そうこうしながら少しずつ試しているうちに、ある人が「こんな酒があるよ」と教えてくれた。「刈穂 大吟醸」である。

「飲ませてやるよ」
気前のいい申し出に、お言葉に甘えた。一升瓶1本が5000円以上するという。なかなかの値段だ。
「これは冷やで飲むものだよ」
そう言いながらコップを突き出してきた。両手にコップをおしいただいて、一升瓶から注がれるのをじっと眺めていた。色は透き通っているのだが、水のようではなくて、どことなくトロリとしているように見える。コップから立ち上る香りが凜としていた。口に含み、喉を通るとき驚いた。からりとして輪郭のはっきりした辛さの後を追って、華やかで清涼な香りが口と言わず鼻と言わず至る所へ押し寄せてきたからだ。女性の多くはしばしばこの香りや味を「フルーティ」と称するらしい。しかしそれだけでは何かが足りない。この酒を口にすること自体が楽しくなり、飲んでいる自分が好ましく思える、そんなうれしさをもたらすのだ。
来年のことを話してもあながち鬼も笑わないだろう時期にさしかかった今、2013年はこの酒で迎えようと考えている。楽しい出来事と好ましい自分に出会える新年を、お気に入りの酒器とともに。



夏が過ぎ、秋が来て冬になる。木枯らしに吹かれた後はビールより熱燗ってのが、世間でいうところの本寸法なのだろうと勝手に解釈して、ものは試し、熱燗ってものをなめてみようと無謀にも考えた。数ある酒の種類のうち日本酒だけは何があっても避けてきたのに、である。
ごく若い頃職場の先輩に無理矢理飲まされた日本酒の臭いにおいが記憶にこびりついていた。だらしなく酔っ払ってクダを巻くおやじの体臭を思わせる、安っぽく品のないただ不快でしかないにおいだった。それ以来、日本酒と聞くだけで吐き気をもよおした。
誰から強いられたわけでもなく、自ら湧き上がる好奇心ほど新たな一歩を踏み出させる原動力となるものはない。全国どこにでもあるチェーン店の居酒屋のカウンターに座るなり、熱燗一本と焼き魚を注文した。徳利とぐい呑みはすぐに運ばれてきた。首をつまんでとくとくと注いだ。鼻の先にもってくると、どういうわけか昔感じたあの嫌なにおいがしなかった。ぐい呑みを傾けると口の中にほどよい熱さと辛さがしみ込んできて、喉を柔らかく押し広げながら通り抜けていく。一つ大きく息を吐くと、一歩遅れて内側から香りがやってきて鼻の先へ抜ける。においは外から鼻の中へ入っていくばかりではないのだと気づいた。焼き魚をつつきながら一合の徳利を空にすると、大いに満足して店を後にした。
それ以降、一口に日本酒といっても銘柄によって味も香りもまちまちであることがわかるようになった。昔飲まされた日本酒はきっと、得体の知れない安物だったに違いない。それでなければあのおぞましい悪臭はありえない。そう結論づけて、どうせ飲むなら本当にうまいと思えるものを自分で見つけて飲もうと決めた。
腰を据えて本気で飲んだところでせいぜい二合が関の山、それ以上は喉も体も受け付けない。味も香りも楽しめなくなり、ただただつらいばかりになるからだ。ましてや、酒でかまどがひっくり返るほど毎晩のみ暮らすわけでもない。少しばかり値は張っても、うまいものをちょっとだけというのが自分のスタイルになった。
そうこうしながら少しずつ試しているうちに、ある人が「こんな酒があるよ」と教えてくれた。「刈穂 大吟醸」である。
「飲ませてやるよ」
気前のいい申し出に、お言葉に甘えた。一升瓶1本が5000円以上するという。なかなかの値段だ。
「これは冷やで飲むものだよ」
そう言いながらコップを突き出してきた。両手にコップをおしいただいて、一升瓶から注がれるのをじっと眺めていた。色は透き通っているのだが、水のようではなくて、どことなくトロリとしているように見える。コップから立ち上る香りが凜としていた。口に含み、喉を通るとき驚いた。からりとして輪郭のはっきりした辛さの後を追って、華やかで清涼な香りが口と言わず鼻と言わず至る所へ押し寄せてきたからだ。女性の多くはしばしばこの香りや味を「フルーティ」と称するらしい。しかしそれだけでは何かが足りない。この酒を口にすること自体が楽しくなり、飲んでいる自分が好ましく思える、そんなうれしさをもたらすのだ。
来年のことを話してもあながち鬼も笑わないだろう時期にさしかかった今、2013年はこの酒で迎えようと考えている。楽しい出来事と好ましい自分に出会える新年を、お気に入りの酒器とともに。
Sunday, November 11, 2012
候補者へ厳しい目を
衆院解散後の総選挙で大敗北が見えすぎるほど見えているから、全面謝罪という一見殊勝な姿勢を見せ、党をあげての究極のドブ板選挙に持ち込むつもりか。
全面謝罪とは自らの過去の厳粛な全否定でもありうる。だとすれば、政権を目指そうという野望そのものがそもそも間違いだったことにもなる。
その間違いを表向きは認めたポーズを取る
→「民主党に政権担当能力はありません」と表明する
→「それゆえ、自民党(あるいは他党・会派)に合流します」
こういう輩があちこちから湧き出てくる可能性は十分にある。よもや自民党もそういう者たちを易々と受け入れるとは思いがたいが、維新や石原新党を初めとする第三、第四の勢力がどう動くかにも注意の目を光らせておかねばなるまい。
年内か年明け早々かは現時点では不透明だが、いずれにせよ選挙は近い。有権者たる私たちは、かつてない厳しい目をもって候補者を見極めねばならないだろう。
Sunday, November 4, 2012
Chromeのトラブル
ブラウザは長いことChromeを愛用してきた。何ら不満はないが、他のブラウザも試しにインストールしてみて使い心地を比べていた。やはり私にはChromeが最も使いやすいという結論に達して、試したブラウザは全てアンインストールした。
その後Chromeに戻ると特定のページでエラーが出た。一度閉じてから再び開いても同様。そこでChromeを一度アンインストールしてから再度インストールしたら、それまでは表示されていた起動ページ(3つ)が表示されなくなった。状況は次の通り。
次の2つの方法を試してみたが改善せず。
さて、どうしたものか・・・。
Wednesday, October 17, 2012
【「おらず」か「いなく」か】
「バランスがとれておらず」
「~を理解しておらず」
「~のレベルに達しておらず」
これらを、
「バランスがとれていなく」
「~を理解していなく」
「~のレベルに達していなく」
とする表現を見かけることが最近非常に多い。まがりなりにも「書くこと」をおマンマの種にしている人の文章においても、頻繁に見かける。たとえばこのようなやや堅めの記事にも「いなく」が出てくる。
何度読んでみても、日本語としてどうにも不自然な感じがして背中がむずむずする。
「いなく」の後には「て」がなければおさまりが悪い。
「バランスがとれていなくて」
「~を理解していなくて」
「~のレベルに達していなくて」
こうするものだと私は思っている。あるいは、
「バランスがとれていないので/とれていないため/とれていないがゆえに・・・etc」
など、書き方のバリエーションはいくらでもある。なぜわざわざ「~いなく」を選択するのだろう?たとえて言うならば、敬語を正しく学んでこなかった若者が就活を前に慌てて敬語の勉強を始めたはいいが、付け焼き刃ゆえにトンチンカンな言い回しになってしまったようなぎこちなさを感じるのだが、書く方も読む方も何も感じないのだろうか?それとも、こんな「些末な」ことにとやかく言う私の方がおかしいのだろうか?
私にはそれがどうにも「腑に落ちなく」「納得がいかなく」「しっくりこなく」・・・。
Saturday, October 13, 2012
History repeats itself?
Quoting an article in GOOD;
【The Outdoor Office: Better for Morale and the Environment】
The picture of "The Outdoor Office" would possibly remind some Japanese grandma and grandpa who are over 75 of "Aozora Kyoshitsu," or "Open-air Classrooms" they used to learn at after the Second World War.
Intense bombings in many cities in Japan destructed a lot of school buildings, leaving young students no place to read and write the way they did with their classmates. All they could do was just gather to an open space where school buildings used to stand and brought wooden chairs that have survived the bombings. No blackboards. No chalks. Not all the students had their own textbooks. Sometimes a couple of kids had to share one book.
Notice the smiles on the students' faces. They must have been really delighted to learn even though they didn't have a classroom. They were thirsty for knowledge as well as a proper place to learn. On rainy days, however, they could not attend these open-air lessons. They had to stay home. To get away from this inconvenience, constructions of new school buildings began soon everywhere in Japan.
During the constructions, students had to borrow some space in other schools that were not severely damaged by the bombings. After school, they would be pulled into hard work of sweeping debris, land-clearing etc. A grandpa recalls; "I joined the construction operation as soon as I entered a junior high school in 1946. It was so hard. I liked the work, though. Because I couldn't wait to see a brand new building set up by our own hands. But I could not see it completed before I graduated. It was done in October in 1949. I have to admit I was a little bit sorry but when I attended the completion ceremony, I was proud of what I did."
Over sixty years later, an open-air space for working and learning has come up for discussion. People once desired to draw away from inconvenience. Contrariwise, an idea has come out to edge out the very asset into which people put forth the effort.
History repeats itself? Or should I say, history retrace itself?
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